遥かなるインドネシア

昔、「百人に訊きました」というTV番組があった。関口宏がMCを務めたあの番組である。以来私も、常にあの番組の如く、百人に訊いてみたいと思う質問を抱えている。たとえば、私の住む大津市、あるいは、京都駅でもよい。年齢性別には関係なく、集まった人に聞いてみたいのだ。世界の国別人口で一位はどこかと。勿論これは易しいしい問題だ、昨年中国がインドに抜かれたということが話題にもなっており、多くの人々がインドもしくは中国を挙げる筈である。共に約14億3千万人。そしてお次は・・・といえば、これもまた、多くの人が直ちに「アメリカ!」と答えるだろう。約3億3千万人ここまでは問題ない。9割は正解できるだろう。さて、第4位は?と来ると、ハテナ?と考える人が多くなるに違いない。これが私が訊いてみたい質問である。ブラジル、違う! メキシコ、じゃないよ。パキスタン!?イイ線いってるけど、ブーだな。どっかの国をお忘れじゃござんせんか?じゃあ、、東南アジアの大国インドネシアだ!と当てた人は偉い! ピンポーンである。百人に訊いたら、さて、10人も出たら上々かな。これが、日本社会におけるインドネシアに対する認知度である。「なんだか海の間に沢山の島がパラパラと散らばったような国だけど、そんなにいるの?」というのが大多数の日本人の感覚である。世界最大のイスラム国家だよ。人口は2億7千万人。「人口は多いかもしれんが、別に大国という感じじゃないな」領土だって、広いんだよ。領海も含んだ国の広さでは、アメリカとほとんど同じ、ヨーロッパ全土の地図と合わせるとほとんど一致するんだぜ。やっぱり大国よ!」とつい私は、ムキになってしまう。「うん分かった。あんたの言う通り大国としよう。だけど、あんたはなぜそんなにインドネシアに肩入れするのかね?」そこそこ、そこなんだよ。私は人生の大半をインドネシアと付き合ってきたんだよね。10代の後半、正確には、1958年だからざっと67年か。我ながら、よくここまで飽きずに付き合ってきたなあ。腐れ縁とは言いたくないけど、長い付き合いだから、やっぱり応援したくなるなんだよ。楽しいこともいやなこともあったけど、「喜びも悲しみも行く歳月」といった気分かな。スタートはインドネシア語だ。旧大阪外国語大学インドネシア語学科に入学した時からだ。旧大阪外大は、東京外国語大学と並んでたった二校だけの国立の外語大学の一つであった。インドネシアとの縁は高校入学と同時に始まった。入学式で、長ったらしい校長の挨拶をに飽きた私は、講堂の壁に張り出された大学合格者たちの一覧を眺めていると、最初に大阪外国語大学何某というのが目に入った。へぇー、そんな大学があるのか。初めて知った名前である。以下に、地元の難関、名古屋大学名古屋工業大学大阪大学京都大学、・・・東大はあったかな・・・と続くのだから、それなりに名の知れた大学とは思ったが、まさか四年後にお世話になるとは思いもしなかった。だが、入学後の成績がいやおうなしに私を大阪外語大に近づけた。なにしろ、数学がさっぱりできないのだから。もともと理科系科目は苦手であったし、入学直後に、大学受験に向けてのクラス分け試験の結果、数学がBクラスに入れられたことが一層その数学苦手意識に拍車をかけた。大体、教師の息子で。それなりに成績で苦労したことがなかっただけに、このBクラス入りの屈辱感は私の勉学意欲を著しく削いだ。「理数系の科目は、ダメだ。親の血筋から見ても見ても無理だ。」と勝手に決めつけて、敬遠したので、当然成績も伸びなかった。東海地方全域での模擬試験で、英語はまれにトップ10にはいるようなことがあっても、数学は良くて100点満点で30点という始末で、これには入試指導の先生もアドバイスに困ったようで、「お前は、外語大しかないなあ」と早くから見切りをつけられていた。当時の国立大の試験科目は、普通で英語、国語,以外に社会が2科目、数学2科目、理科が2科目の系科目であったから。私にはとても無理な話であった。しかし、親から与えられた条件は、兄が既に東京の理系の私立大にいるため、学費の安い国公立大のみ。理数系の受験科目が少ない早慶などは無理という。とすれば、選択肢は、理科一科目必須の東京外大か、数学一科目必須の大阪外大しかない。東京外大は、名だたる難関校、いささか合格の自信がない。私にとっては、数学は勿論苦手だが、理科はさらに大きな障害である。生物、化学、物理などどれをとっても悪魔のごとしである。とすれば、大阪外大しかない。入学式で見た合格者先輩がにわかに浮かび上がって来た。そこで、先生方に糺してみると、合格者某君は、やはり優秀であったそうだ。しかも、大阪外大の首席入学だととのこと。結果的には、別の大学へ入ったそうだ。かなり余裕の受験生だったようで、この凡才には参考にならない。そういうことで、現役で、スペイン語科を受けたが、25倍という数字に圧倒さて完敗した。そして、苦しい宅浪の末、今度は、インドネシア語で再挑戦し。なんとか外語大の一角に潜り込んだ。さて、そこで当然こういう質問を受けることになるだろう。「なぜ、インドネシア語を選んだの?」それは、今日にいたるまで数え切れないほど繰り返されてきた質問である。その都度、私は答える。「インドネシアは大国で、経済面で日本との関係は今後強まることは間違いない。就職にも有利だろう」「寒いのが大苦手。南国へ行きたかった。」「昔の南洋という言葉にあこがれを持っていた」「誰もやらない言葉をやりたかった」等などである。しかし、今から考えると、やや後付けに近い。本音は、とにかく合格しやすいところファーストであった。浪人はいや。国立大阪外国語大学に、とにかく入りたかったのだ。