私の千字文(1)ー朝風エッセイ

限られた字数内でエッセイなどまとまった文章wo書ヲ挙げるのは容易ではない。字数に気を取られすぎると文章が固

くなり、往々にして面白味に欠ける場合が多い。産経新聞の一面に、「朝風エッセ-」という読者から募った作品を

掲載する欄がある。姿勢の庶民の生活の哀歓を綴った佳作も多く、愛読して、時には投稿したりして楽しんでいる。

ところが実際に、文章を書いてみると、なかなか手強い。字数は最初650字であったのが、最近は500字以内

に縮小された。わずか150字程度の削減だが、書き手にとってみれば。これは意外と大きな変化であることに気が付く。


以前なら、一つの核になるテーマとそれにまつわる枝葉を書き加える余裕があった。文章にゆとりがあったが、いまはその

ゆとりを与える遊びがない。勿論それは、筆者の文章表現の力によるものだろうが、凡なる書き手には、大きな足枷となる。

650字の時には、其れでも自分なりに満足のゆく作品が書けたり、まれにだが、本紙に採用されたこともあったが、

500字体制になってからは、納得したものが書けて投稿しようと思い至ることもほとんどなくなった。自己判断での

基準に達することができなくなったのである。これは想像だが、この150の制限字数の変化で、書きにくくなった人は

少なくないように思える。しかし最初から的を絞った的確な表現ができる文章巧者にとってみれば、むしろ腕の見せ所ではないか。


話は少し離れるが、中国に千字文というものがある。南宋武帝が同時代の文章家として有名であった周興嗣に命じて作らせた

1,000字より成る漢詩である。子供に漢字を教える手本として、また、書を学ぶ上の手本として用いられたが、すべて

異なる文字が用いられ時には、番号としても利用された。この1,000字という限定の中で、しかも同じ字を使わずに思いの丈を

歌い上げるというのは、もとより異才のみにしてできる技であるが、この凡筆もせめて同じ1,000字で思うところを記する

というささやかな修練だけは何とか続けるよう心掛けたいと思う。これで、約900字。果たして何事か伝えることができたのか。

はたまた、凡庸なる御託を並べたというか、要するに単なる独りよがりの戯言か。とにかくスタートの書き出しであることには間違いない。


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