父もすなる日記

父は達筆であった。女性的と言えるほど繊細にして流麗なる文字で長年日記を書き続けた。物心がついて以来、毎晩就寝前になると家族団らんの片隅で日記を書いていた姿が   思い浮かぶ。高校の西洋史の教員としての人生を終えた父は、真面目で努力家だが、反面頑固で、面白味に欠ける人であった。子供たちについても厳しく、学業については、常に威圧的で、説教が伴って、子供達には煙ったい存在であった。 雨の日曜日、朝食後、父が机に向って、書物を広げ始めると、小学生の私は絶望した。ああ、今日は外に飛び出して野球ができない。「お前たちもたまには一緒に座って勉強しろ!」と言われるに決まっていたからだ。無駄な抵抗は止めて、私も殊勝な顔をして、みずから教科書を取り出して、予習のふりをする。兄と弟も観念して私に倣う。そして、とても長い時間が過ぎたと思える頃、母から「さあ、さあお昼ごはんにしようね」と声がかかる。どんなに待ち遠しかったことか。昼食が済めば、父も流れに任せて軟化することを心得ていたからだ。私はこうした家庭の雰囲気を疎ましく思っていた。両親が教員の家庭に生まれたことは、不幸だと子供心に思い続けた。戦災で疎開してきた田舎の小学校の同級生は、農業の家が多く、親もさほど教育に熱心ではなく、子供たちも自由に遊んでいるようで羨ましかった。しかし、後になって、彼らには、農作業の手伝いという,教員の家庭などに比べれば、はるかに重い負担を背負っていたことを知るのであるが。「先生の子供のくせに!」という周りの無言の圧力もいやであった。先生には、「みんなの手本にならなきゃだめじゃないか。そんなだと、親にいいつけるぞ」。と学校では担任に言われる。大人になっても先生だけにはなりたくない。今の子供のように夢を語れる時代ではなかったが、先生だけはごめんだなと固く思っていた。そして、大学を出ると、教師とは対極にある商社マンを選んだ。だが、カエルの子はカエルになり得ない。謹厳実直な父の下で育った私には、人生の各場面に当意即妙にあわせる社交性はなく、決定的に商才に欠けていては商社マンとして生存し得ない。程なくして、教員の道に転向した。これだったら、最初からその方向に照準を合わせて、準備をしておくべきだった気付くのが遅すぎた。わが人生最大のエラーであった。祖師の掌から外れようとして叶わず、藻掻いた末に、舞い戻る孫空の二の舞であった。父とは別の道を歩こうとした私もなぜか日記を書く習慣だけは受け継いだ。教師の道に転じて以来、前の年の経験を忘れまいと書き始めて以来、54年。これだけは続いている。日常の些事を記すだけの何の変哲もない日記だが、かき続けた期間と量だけがささやかな誇りである。積み重ねると、高さは年と共に縮んできているわが背丈を超える。   父が亡くなったとき、遺したに日記の処分が家族の間で問題となった。勿論、プライバシーの問題もあり、いいかげんな放置はできな。とはいえ、大量であり、ひとり遺された母も手に余る。「もっと有名人ならもっと高く売れのかもしれないが、父さんのじゃな・・・。みんな適当に何冊か選んで家に持ち替えって、形見にしたらどう?」と私の発言に、珍しく母が気色ばんで,「あかん、それは!」と主張する。「・・・ここには、家族の思い出が全部詰まっているんやから、捨てるなら全部一緒にしなきゃ。私が何とかするから、任せて頂戴」ときっぱり。もとより息子三人に異議はなし。その後、私は、特に問わなかったが、日記はいつの間にか、一人暮らしとなった母の家から消えていた。   そして我が家である。書き続けてきた日記も最近では怪しくなってきた。記憶力が付いていかないのである。久し振りに日記帳を手にすると、さて、3日前は、なんしたっけ?   やむなく妻に聞く。「週の木曜日? あら、同窓会へ行った日ね。あなたは、卓球へ行ってたわ」こんなことが続くと、妻も呆れて、「なんだか、それじゃ、私の日記みたいよ。忘れたら、無理して書かなくていいんじゃないかしら」ごもっともである。でも、空白のページがあるのは、気分が悪い。人生の大事な一日を無駄にしたようで切ない。だから、どうしても、妻に聞くのもしつこくなり、最後は「もう止めたら」ということになる。「日記を書くには、年を取りすぎたのよ」ということで、あれこれ考えた末、ブログにたどり着いた。これなら、気が向いたときに書けけばいいだろうから。だが、父と同じ問題が残った。わが背丈を超えた量の日記を以下に処分するかである。妻はしきり責め立てる。「日記を元気なうちに整理しておいてね。私が一人になったら、大変だからね」分かっているよ、子供もいないし、妻の心配も理解できる。分かっているのだがなかなか手がつかない。いま燃えるゴミとして出してしまうのは忍びない。やっぱり、私がいなくなってから、ひっそりと処分してもらうのが望みだが、「私に任せて頂戴」という言葉を妻の口からは出そうにない。さてどうしたものか。思案する日々である、